江戸時代の数々の文献には、当時の要人や文化人に愛された八百善に関する記述が数多く残されています。
その中から、「八百善伝説」とも言える逸話をご紹介しましょう。

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「一両二分の茶漬」
「八百善伝説」の中でも代表的なものが、江戸末期の書物「寛天見聞記」に書かれた「一両二分の茶漬け」です。
ある時、美食に飽きた通人が数名、八百善を訪れ、「極上の茶漬け」を注文しました。しかし、なかなか注文の品は出てきません。半日ほど経ってやっとありつけたのは、なるほど極上の茶漬けと香の物でした。しかし、勘定が一両二分と聞き、通人たちはさらに驚きます。さすがに高すぎると言うと、主人はこう答えました。「香の物は春には珍しい瓜と茄子を切り混ぜにしたもので、茶は玉露、米は越後の一粒選り、玉露に合わせる水はこの辺りのものはよくないので、早飛脚を仕立てて 玉川上水の取水口まで水を汲みに行かせました」。
それを聞いた通人たちは、「さすが八百善」と納得して帰ったといいます。当時の一両は、現在の貨幣価値で3〜5万円と言われますので、いかに高価だったかがわかります。
参考サイト:日本銀行金融研究所貨幣博物館

「ハリハリ漬け」
もう一つ、有名な逸話が「ハリハリ漬」です。喜田村香城が書いた「五月雨草紙」によると、ある人が、以前食べた八百善のハリハリ漬の味を思い出し、使いの者に小鉢を持たせて八百善へ送り出しました。すると、ほんの一口のハ リハリ漬が三百疋(三分)もしました。これはあまりに高いとかけあったところ、「手前どものハリハリ漬けは、選び抜いた尾張産の大根一把から極細の一、二本を抜き出し、水を使わず味醂で洗って漬けるのでこの値段になるのです」と主人は答えました。大根を水で洗うと辛くなるため、当時、高価だった味醂を使って大根の泥を落としていると聞き、その人も納得したそうです。これらの逸話から、八百善が江戸を代表する超高級料亭であったことがうかがえます。しかし、ただ高価なだけでなく、それに見合う味としつらえでお客様をもてなし、多くの方に愛されて参りました。